勝利者の瞑想法-要約 第一章 今、なぜ瞑想か-欲望と理性とカルマ
命の働きの観点から生き物を定義すると、(生き物は)「体の外側から栄養をとって、外側の環境に順応させて進化、発展、成長していく」
進化発展を求める原動力は命の求めている欲望
人間には3つの本能的欲望がある
1、自己保存本能(長く存在したい。食欲。)
2、種族保存本能(分身を増やしたい。性欲。)
3、自由行動の欲求(自由でいたい。自由欲、遊戯欲、解脱欲。)
金銭欲、名誉欲、所有欲、権力欲は、3つの本能的予九から派生したもの
ウパニシャッドでは、人は欲望から成るといい、仏教では欲愛により世界が出現したという
三大欲求が生物進化の原動力となり、下等生物から高等生物へと進ませている
生命進化の最終目的は、永遠の生命、生命の無限拡大、生命の無限自由の獲得
最終目標に向かい自己を自覚し、個人的に取り組み、生命の理想状態に達することがモークシャ(解脱)
瞑想の目的はモークシャ
目標達成の3つの障害とは:
1、物理的自然環境(自然災害など)
2、他の生命による妨害(生存競争)
3、欲望と理性の衝突(感情のコントロール)
感情をコントロールするためには欲望をコントロールする必要がある
意志は生命の欲求を遂行するために起こってくる心の働き
感情や意志に方向性を指示する心の働きが理性、分別力、判別力
高度の認識力である理性は、快・不快を超え、高い見地から意志に方向性を示す働きがある
人間の進化とは人格の向上、悟りを開くこと
実現のための最大の敵は、自分自身の内側にある欲望であり、欲望に打ち勝った人がジナ(勝利者)
人間を含めた生命が六道輪廻を繰り返すのは、時に欲望に負けて精神性、人格を後退させることがあるから
人生に起こって来るあらゆる出来事は、命が自己の欲求を実現させるために、戦いと妥協により作り出したもの
人間が求める無限の命への欲求は、個人を超え、集団、国家、全人類にも無意識的に働く
宗教、美術、芸術も人間の三大欲求にもとづき起った現象
欲望が進歩の原動力
無限の命、無限の自由に対する欲望を仏性、煩悩と呼び、それが宗教心、菩提心につながる(煩悩即菩提)
科学や経済を通して全人類的に生命の理想状態に達する道に対し、個人的に生命の理想状態に即、達成しよとした道が宗教
世界は一切、意志(カルマ)により成り立っており、意志と行為をコントロールするのが理性(認識)
聖なる智慧の訓練として意識力、認識力を修練すること、それがディヤーナ、サマーディの瞑想
ブッダは物事をありのままに脚色しないで如実に見ることでカルマを改造できると唱えた(ヴィパッサナーにより妄想から離れよといった)
マハーヴィーラは身体を純粋に知覚する方法としてシャリーラ・プレクシャを行った
ヴィパッサナーとプレクシャは同じもの
意志(意欲)により世界がある、すなわち、世界を創造するのは自身の欲望
我々が体験している世界は我々のカルマが作っている(自業自得)
カルマは痛みや病気のようなもので、消えるために現れてくる
業の現れが運命の転換点になる
業の中で変えられないものが宿業・宿命、変えられるものを運命と呼ぶ
カルマを清めていくことに人生の意味があり、カルマをコントロールすることが人間にとって一番大事
カルマ・コントロールで大事なのは忍耐力を涵養すること
忍とは、他社からの加害、危害、迫害をなんでもないと思うこと
忍とは動揺しないこと、後で加害、報復しないこと、屈辱に耐えて心に執着しないこと
非難、中傷などをやり過ごせば、それらは行き場を失い虚空に消えて行き、カルマの刻印を残さない
レーシャ・ディヤーナ、アヌ・プレクシャがカルマを浄化する瞑想法