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現代の社会機構そのものが、各人が生きる喜びゃ働く喜びを感じ得るようにできていない
現代の社会機構が、各人に生きる喜びゃ働く喜びを追求する意欲を起こさせるようにはできていない
自分の職場は構成員全員が互いに協力して働く喜びを追い求めているといえる人、あるいは、自分の勤務している会社は社員個個人の能力研慣の場と誰もが認めているといえる人がいたとしたら、おそらくそれは例外中の例外であり、ほんの微々たる数であろう
社会を構成する一部分である会社の例ひとつとってみても、喜びを求め、能力を磨き合う場になっていない
社会機構の大きな歯車が、そうした健全な意欲を阻害し、その歪んだ、欺崎に満ちた流れに捲きむ
その流れに従う者だけが生き残れるという社会機構が、「生きる喜び・働く喜び」の追求を放棄断念させたという事実がある
社会機構の大きな歯車の具体例
・金銭中心の思想
・仕事は、働く喜びゃ能力開発を中心に進められているのではなく、金銭を中心に進められている
・会社は、売り上げ成績至上主義という金銭中心の思想に、社員は、賃上げ至上主義という金銭中心の思想に
・何もかもが、欲望と勘定に従って動く
・西欧流の唯物思想を土台に現代の社会機構は築かれた
教育といえば、おそらくほとんどの人が唯物思想から最も遠いものと思っているが、「よい高校、よい大学に入って、よい職場に就職をしてほしい」とは、要するに「よい給料をもらう」ことで、結局は金銭中心の思想が根本
役所や官庁の場合、動因は金銭ではないが、ここもやはり物を中心に動いている
役所や官庁を動かしているのは、書類以外の何ものでもなく、そこには書類中心の世界があり、一般の企業と同様、唯物思想に貫かれた人間不在の世界