勝利者の瞑想法-要約 第一章 今、なぜ瞑想か-瞑想と冥想の違い
瞑想とは、メディテーションあるいはヨガの八段階のダラーナ(統一行法)、ディヤーナ(禅定行法)、サマーディ(三昧)のこと
冥想は瞑想を含んだ、もっと広い意味
瞑想は、主として自己の内側に観じようとする意識を向けて、内側に起こっていることを知覚していく作業
自己の内側を深く、深く、細かく、細かく観じ、探っていくこと
対象は皮膚の内側に生起している自己という現象のすべて
どんな呼吸か、筋肉や内臓諸器官の働き、微細なエネルギーの動きや波動、それに伴う感覚を観じる
神経系や内分泌系の働きを、身体を通して感覚やバイブレーションとして観じる
肉体レベルを超え、電磁気的な身体、カルマの身体、感情、潜在意識なども観じる
最後に魂、純粋意識、本当の自分に出会う、それが瞑想の目的であり、サマーディ
サマーディとは、「自分と思っていたもの全てが自分で無くなって、魂が本当の自分だとわかること」
智慧が深まり、自由感が高まり、肉体と意識が分離し、無限の自由を獲得できる
冥想とは、瞑想により培った知恵を使い、肉体の外側に向かって意識を広げ、生活や仕事、実社会のためになるように活動していくこと
内なる知恵により愛や慈悲の心が高まり、その精神の高まりを自分の生き方、生活にする
親や子供、伴侶、家族、地域、国、動物、植物、全人類、地球、やがて宇宙が自分になること
冥想とは、「自分でないと思っていたものが自分になること」
最後に宇宙と一体になること、融合、統一により、愛が深まる
沖正弘氏が提唱した、自然心、積極的な心としての、感謝、懺悔、下座、奉仕、愛行が冥想
沖ヨガの10段階の、バクティ、ブッディ、プラサードは、そうして達成した心の状態
冥想を実践するには瞑想の実践が不可欠
座ることだけが冥想ではなく、日常生活を整えることが冥想
自由自在が溢れている状態、すべてを活かすことが冥想
ちょうど良い時にちょうどよいことをして間違えないのが冥想
動にして不動、不動にして動が冥想
緊張と弛緩を大きく幅広く拮抗させるのが冥想
静中に動、動中に静、その上の境地が静動一如、さらにその上が動も静もない、本当の冥想
三界のどこにも身を現さないのが冥想
でしゃばらず皆と調和することが冥想
天地の一切と和解し融合することが冥想
ないようでしかしちゃんとある心身の感じ方ができることが冥想
本当の心は、時間と空間を越えたところ、時間と空間のすべてを自分の身体の中に収めている境地が冥想
煩悩を断せず涅槃に入るのが冥想
いつ、いかなるところでも主人公となるのが冥想
環境に振り回されたり相手に打ち負かされたりせず、完全調和することが冥想
いつでもどこでも、神(自然法則)とひとつにあることが冥想
今の一瞬一瞬を精一杯最善をつくし、結果は神に任せて放下することが冥想
あたりまえのことをあたりまえにやり、捉われたり、こだわらないことが冥想
自分の一挙手一投足が宇宙全体に影響を与えていることを深く実感していることが冥想
意義即仏法が冥想
あらゆることに尊いご縁を感じることが冥想
自己を空じること(生きているのではなく、必要あって、尊い縁によって生かされていると実感できること)が冥想
自己を空じることで本当の自分が出てくる、これが悟りであり、自己解放であり、完全なる自由を得ることであり、解脱という